幸せってなんだろう
幸せの追求は難しい
先日このtogetterまとめを読んだ。 内容としては、幸福度が高い国として知られたブータンで、インターネットが広まったところ、幸福度指数が低下したという話だ。
これは人の幸せを考える上で、非常に興味深いと思った。
想像ではあるが、恐らくインターネットによって、ブータンが世界と比べて"遅れている"という情報を各所で受け取ってしまった結果、幸福度が下がったのでは無いかと考える。 もしくは、ブータン内にある今までアクセスできなかった情報へアクセスしたことで、幸福度が下がったのではないかと思う。
簡単にいうと、知らない方が良かったよね。という話だ。
あくまで僕らの幸せとは、絶対的な指標としては存在せず、相対的なものなのだろう。
日本で言えば、戦国時代において、命の重みは今とは比べ物にならないくらい軽かった。それゆえ、恐らく、幸せの定義も大きく違っていただろう。
『夜と霧』で描かれたアウシュビッツでは、愛する人の姿を思い浮かべることが幸せであった。
罪の無い人や、幼い子どもがなくなってしまったりと、最低限の生命の確保は、世界的に見ても必要であろう。
しかし、どれだけ科学が発展し、どれだけ多くの情報を得たとしても、僕らが感じる幸福度には限界がある。
角度を変えれば、どんなに小さなことでも幸せを感じられるということだ。
目の前の幸福を逃していないか?無駄なノイズのせいで嫌な想いをしていないか?
人一人の個人的な幸福には結局限界がある。その事実を受け入れ、うまく自分をコントロールすることが大事だと思う。 いくらお金を手に入れても、いくら異性をはべらせていても、いくら大きい家を持っていても、幸福度は頭打ちだ。
都会ですごく現代的な生活をしている人は、田舎のおばあちゃんと同じ笑顔を出来るだろうか?同じ幸せを噛み締められているだろうか。 人の幸せは、ありふれていて、でも、見えなくなりやすい。見失わないようにせねばと思う。