君の信用を食べたい

20代男性が自分の好きを忘れないために

この時代に生きる

最近、筋トレと食事制限を始めた。毎日少しづつ成長しているし、普通に健康になるしで良いことしか無い。 自分の身体のベストだった時期を思い返すと、恐らく高校2年生だった気がするが、その状態を齢22で超えられるか、少しワクワクしている自分も居る。

あんまり胸と腕をデカくしすぎても、好きな服が似合わなくなるのでそれだけは気をつけないと。

話は急に変わって、コロナと共に生きる中高生・大学生はかなり辛い気がしてきた。 一年前は、長くても3年くらいの勝負だと思っていて、この期間を楽しもうとかなりポジティブにとらえていた。 もともと自分はインドア派であったし、自己完結もある程度できているタイプだったので、そこまで深刻には捉えていなかった。

ただ、増え続ける感染者、度重なる変異株の出現、国のオペレーションの稚拙さ。これらをこの一年で見てきて、いよいよこの勝負は3年そこらで終わるものではないんだと実感として感じ始めた。感染症の専門家の方が五年はかかると言っていたが、「コロナ辛かったね〜」と言える状態を収束とするなら、恐らくそれくらいは当たり前にかかるだろうと思う。

そうなると自分のメンタルはどうだろう。 勿論会いたいと思った人に、会いたいと言えば、会える。それは緊急事態宣言などが出ていない限りはある程度叶うことではある。

でも、人間、会いたいと思う人と会うだけで生きていないはずなんだ。偶発的に出会った人や、久しぶりに合う人と話す瞬間も同じように尊かったのだと感じる。そんな人達と会う時間はこの二年でほとんど無くなってしまった。

そしてこうした生活が続けば、その人達とは疎遠になっていくのだろうと考えると、最近、急に寂しい気持ちになる。 自分はいつまでこの空虚な生活を続けられるのだろう。厳密に言えば続けられるけれど、何かがすり減っているような気がする。気づいたときにはすごく小さくなってしまうんじゃないかと不安になる。

自分は大学生だからまだマシな方ではあるが、高校生の方が辛いと思う。 部活も思うようにできず、学校行事は尽く中止、キラキラの大学生活だって待っていない。お先真っ暗だ。

この時代に生きると覚悟を決める。この時代に、前の時代を夢見ることはきっと何かをすり減らす生活になる。 新しい何かを見つけないといけないんだと思う。

いっそのこと早く社会人になって、仕事に熱を注ぎたいと思ってしまう。 こう思うことは悲しいことなのだろうか。

それでも、きっと生をすり減らすよりはマシなんだと。

幸せってなんだろう

幸せの追求は難しい

togetter.com

先日このtogetterまとめを読んだ。 内容としては、幸福度が高い国として知られたブータンで、インターネットが広まったところ、幸福度指数が低下したという話だ。

これは人の幸せを考える上で、非常に興味深いと思った。

想像ではあるが、恐らくインターネットによって、ブータンが世界と比べて"遅れている"という情報を各所で受け取ってしまった結果、幸福度が下がったのでは無いかと考える。 もしくは、ブータン内にある今までアクセスできなかった情報へアクセスしたことで、幸福度が下がったのではないかと思う。

簡単にいうと、知らない方が良かったよね。という話だ。

あくまで僕らの幸せとは、絶対的な指標としては存在せず、相対的なものなのだろう。

日本で言えば、戦国時代において、命の重みは今とは比べ物にならないくらい軽かった。それゆえ、恐らく、幸せの定義も大きく違っていただろう。

『夜と霧』で描かれたアウシュビッツでは、愛する人の姿を思い浮かべることが幸せであった。

罪の無い人や、幼い子どもがなくなってしまったりと、最低限の生命の確保は、世界的に見ても必要であろう。

しかし、どれだけ科学が発展し、どれだけ多くの情報を得たとしても、僕らが感じる幸福度には限界がある。

角度を変えれば、どんなに小さなことでも幸せを感じられるということだ。

目の前の幸福を逃していないか?無駄なノイズのせいで嫌な想いをしていないか?

人一人の個人的な幸福には結局限界がある。その事実を受け入れ、うまく自分をコントロールすることが大事だと思う。 いくらお金を手に入れても、いくら異性をはべらせていても、いくら大きい家を持っていても、幸福度は頭打ちだ。

都会ですごく現代的な生活をしている人は、田舎のおばあちゃんと同じ笑顔を出来るだろうか?同じ幸せを噛み締められているだろうか。 人の幸せは、ありふれていて、でも、見えなくなりやすい。見失わないようにせねばと思う。

自分の目を養う

Candy Stripper デザイナー板橋よしえ連載「おしえて好きなひと」 第20回 オカモトレイジ(3ページ目)

これはOKAMOTO'Sのメンバー、オカモトレイジのインタビュー記事だ。 OKAMOTO'Sはフェスで観てから好きでよく聞いているのだが、その中でもレイジの人生観がとても好きだ。

過去のPOP LIFEの放送の中でも彼は、「好きっていう感情が一番良い」「作品に好き嫌いはあるけど、良い悪いは無い」と言っていたが、彼の価値観とそこから滲み出る発言は、好きが少ない自分にはぶっ刺さることが多い。

レイジは最近KPOPにハマっていたり、音楽のジャンルも幅広く聞いていたり、スポーツも好きになりたいと言っていたりと、好きになるのがとても上手い。

レイジは言う。「人生を退屈にさせているのは自分自身だ」と。

だから俺、自分の人生において、何に対しても美学を増やしていくのが一番大事だと思ってて。例えばまだわからない家具のことも、自分なりの美学があればわかるわけじゃないですか。知識があるとかじゃなく、自分なりの美学があるっていうのがでかいと思ってて。それをどんどん増やしていきたいと思ってる。今はスポーツに全く興味がないから、スポーツに美学を見出したい。スポーツ、好きになりたいなと思ってて。

レイジは自分の人生を楽しむには好きなことを増やして、最高の感情を増やしていくのが一番大切だと知っている。 そしてレイジは、何かを好きになるには、自分の目で直接体験して、直接触れて、自分なりの美学≒自分なりの価値観を育てていくのが大切だと知っている。

レイジを見ていると、自分が何が好きか分からないという人は圧倒的に直接ふれて体験することが少ない人なんじゃないかなと思う。 今の時代、インターネットで音楽も映画も舞台も聞けたり見れたりしてしまう。調べればたいていの情報は出てくる時代だ。しかも、それを無料かもしくは低額で楽しめてしまう。 人がおすすめした情報、アルゴリズムがおすすめした情報。

それで知った気になってしまう。それで小さい満足をしてしまう。

でも、本当に腹落ちする情報は、多分自分で足を運び、自分の目で見て、自分の肌でふれないと多分、得られない。 これだけインターネットが発展したからこそ、あえて足を運ぶコストをかけることの重要性は増している気がする。

僕は昔からインターネット大好きで、何でもググるし、何でも評価見るみたいなことをしてきた。だからなんじゃないかなと、レイジを見ていると思う。

このレイジの言葉、刺さる人多いんじゃないかな

――今のお話は、周囲に惑わされず自分自身の価値観を信じたほうがいい、というメッセージにも聞こえます。

レイジ そうかもしれないですね。実は俺、「田舎者」が苦手なんです。といっても、俺の中での「田舎者」は地方出身者に対する差別用語ではありません。自分の世界の“首都”に住めていない人、つまり自分の中の軸や価値観、アイデンティティーが見えない人のことを指しています。東京出身でも「田舎者」はいっぱいいます。

――自分自身と正面から向き合うことが出来ていない人というか。

レイジ そうとも言えますね。「自分探し」といって世界旅行をする人がいるじゃないですか? 正直に言うと俺はその安易さや軽薄さが苦手です。大した努力もせずに、自分が生活している場所で居場所を見つけられなかった人が、世界を旅したところで何を見つけられるんだっていう。旅する前にやれることはもっとあるんじゃないかな、と。

――話を聞いていると、根っこの部分は我の強かった高校生の頃とあまり変わっていませんね。

レイジ あははは(笑)。そうかもしれないです。やっぱり自信を持っている人はカッコイイと思うし、俺自身もそうありたいと思っています。だから、自分の中に揺らがない価値観を持ちつつ、他者には配慮する、ということを常に意識しているし、それが行動全般につながっていると思う。俺はそのスタンスをずっと「真面目」と呼んでいます。  

今思うと、自分の中で譲れない価値観って、たぶん何事に対しても真面目でいることなんですよ。この感覚はずっと大事にしていきたいですし、これからも変わることはないでしょうね。

これからは積極的に足を運んで直接体験していかないとと焦ってきたぞ。

2021-08-15

色々コンテンツを消費した

先日こちらのブログを始めてから色々コンテンツを消費したので、観終わったの、まだ途中のもの含め、適当につらつらと書いておく。

ODD TAXI

f:id:tmtm2to:20210815084607j:plain 『ニューヨークのニューラジオ』を聞いていたところ、やたらとODDTAXIの話題が出るので、とても気になっていた。その他にもソーシャルでおすすめしている人が多かったので流石に観ておくかと想い、観始めた。(現在11話まで視聴済み)

アニメ自体は、キャラクターが動物風にデフォルメされていたり、声優に芸人が起用されていたりで、アニメとしては割と異色ではあるのだが、中盤以降それが気にならない、いやむしろ好きになってくるくらいだ。

内容としては、あるタクシー運転手を起点に起きる事件とすべての登場人物が絡み合う話ではあるのだが、中盤以降、それぞれが繋がり始めてだんだんと面白くなってくる。

まだ最終話は観ていないのだが、楽しみだ。

佐久間宣行のNOBROCK TV

Twitterで見かけて、佐久間さんがYoutubeをやっているのかとこの動画を観てみた。 もともと春日の無茶するところは結構好きで、若林に踊らされているのが非常に魅力的だと思っていた。

そんな個人的好みもありつつ、この動画を観てみたら面白すぎて感動した。 春日が佐久間さんの指示の下、楽屋でドーピングを使う、というドッキリを仕掛ける動画なのだが、ところどころドーピングの成果を確認するためにするトゥースが面白い。

というかトゥースってこんな面白かったっけってなった。すごい意気込んだあとのトゥースの面白さたるや。

その他にも麒麟川島との対談動画など、芸人好きにはたまらん動画が多い。まだまだ観ていない動画もあるし、今後の更新も楽しみ。

AUN

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Tverにて視聴。 コンビで大喜利に挑むというありそうでありなかった番組。

マヂカルラブリー三四郎大喜利力は当然すごいのだが、真空ジェシカが王道のような回答を連発していて面白かった。

三四郎はストレートなツッコミありきの大喜利では敵なしだったが、20xx年の漫才のつかみをやってくださいというお題に対しては、マヂカルラブリーの方が一枚上手だった。

きつねは大喜利のルールを無視したり、音楽流したりしてダメダメだったけど、ダメダメ過ぎて逆に面白かった。個人的には、きつねの大津が相方のミスにガチギレしている顔が最高だった。

あちこちオードリー

東京03かが屋の回を視聴。

加賀が03好きすぎるのと、正直すぎるのが絡まって、よくわからん立場から発言しているのが面白かった。

あと、素で話している角田の笑顔がすげえ好きだった。番組としても面白かった。

サマーフィルムにのって

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佐久間さんがラジオで紹介していたり、色々な人がおすすめしていて、評価サイトでも軒並み高評価だったので、吉祥寺UPLINKまで行ってみてきた。

青春ものが好きなので、めちゃくちゃ期待して観にいった。

前半の青春感はとても好きだったが、中盤から恋愛とSFが同時に絡み合い始め、そこから気持ちが離れていった。

自分はリアルじゃないものにもリアルさを求めるタイプなので、恋愛するなら暗にでも惹かれているシーンや表情や発言を見せてほしいし、SFならSFで設定をちゃんとしてほしいタイプだと気づいた。

坂本裕二みたいに直接発言させなくても観ている人に恋をしていると伝える方法はいくらでもあるし、そういう観点でいうと、恋愛要素はやっぱり微妙だった気がする。

雰囲気だけは好きだったけど、期待以下ではあった。

人生に正解なんて無いのに

正解があると思ってきた

僕は昔から何事にも正解があると思ってきた。別の言い方をすれば、もっとより良い方法があるんじゃないか?と常に考えていた。

ある意味で完璧主義者なのかもしれないけど、僕の感覚からすれば、完璧なんて多分無いんだろうと思う。

どうして、こういう考え方をするようになったんだろうと思うと、それは、正解を求めて気持ちよくなれた経験があるからだ。

自分で言うのもなんだが、昔から勉強も運動もそれなりに出来る方だった。 でも、中学に入ったとき、最初あまり成績が良くなかった。何かがおかしいと思った。すごく悔しかった。自分の能力が否定されたような気がした。

そこで少しやり方を変えて、勉強に取り組んだ。そうするとすぐに成績も伸びた。中学では学年1位もとった。僕は、やり方を変えれば簡単に正解に近づけると学んだ。

他にもある。思春期になるとモテたいという気持ちが出てくる。当時の自分はモテなかった。でもモテたかった。だから、ネットでモテる人の特徴を夜な夜な調べたりした。今考えると最低だった。

そこには、落ち着いている男性、気が利く男性、話が上手い男性。色々書いてあった。 子供の癖に、それを実践すればモテるのではという淡い期待を抱いて実践してみた。結果モテた。モテたけど、もとの自分を失った。これが良くなかった。

本当にネットに書いてあることを実践したからモテたのか、たまたまモテ期が重なったのかは分からない。でも僕にとっては、ネットに書いてある正解らしいことを実践したら、成功した。

僕は勉強だけでなく、人の印象も操作できるような感覚に陥った。 それが、自分という核を、ごまかし続けていることとはつゆ知らず。ネットの皮をかぶった薄っぺらい人間になっていった気がする。

人生にも正解があるんじゃないかと思った

だんだんこの正解を求める思考は悪化し、染み付いてしまった。 僕は、人生にも正解といえるルートが在るのではないかと感じるようになった。〇〇を勉強して、〇〇ができて、〇〇みたいな人。そういう自分なりの正解を常に頭にもって、それに近づくことを人生のモチベーションにしていた。こういう人は今のネット社会には意外と多いのではないかと思う。

実際、当時書いたメモ帳には、自分のなりたい像を箇条書きし、更にイメージイラストまで書いてある。今考えると最低だった。今の自分を肯定せずに、もっとこうなれば、もっとこうすれば、もっとこれができればと。空想家だった。極度のマスターベーション依存症だったんだと思う。

なんでかって?

人は未来のことを考えているとき、他人のことを考えているとき、現実から、自分から目を背けることが出来る。楽を出来る。直視しないでいられる。 それは、束の間の休息であり、生きているのは紛れもなく今であり、自分である。目標を立てて満足しちゃう人間みたいなもんだ。

人生に正解は無いんだと感じるいま

まあそれからあれこれあって、今は、昔の自分を最低だと思えるくらいには感覚が変わった。

人の印象なんて、思った通りになるわけないと今は考えている。人は思ったより自分のことを観ていないし、そもそも興味がない。人は自分が思っても無い部分を見ていたり、あるいは見ていなかったりする。だからそれを制御しようとしても意味が無い。

なりたい自分の姿を持つのはいいが、それは正解のような定まったものではないし、他者目線で決めるものではない。

恋愛教科書に載っているモテる男性より、そこら辺のダメ男のほうがモテている。テレビに出てる成功者より、田舎のおじいちゃんのほうが幸せな笑顔をしている。

結局、人間が想像しうる人生の正解なんて、ネット検索や本、友達から聞いた情報から導かれる薄っぺらいものに過ぎない。それを正解と呼ぶなら、正解してしまうことが間違いであるという矛盾にいつか陥る。

人生は、ランダムで何が起きるか分からない。世界は、自分がコントロールできない他人が居るから面白い。

その時々でピンは立てつつも、意外と短期的な衝動にまかせて動いたほうが、多分人生は面白い。 他人を忘れて、単純に自分が楽しいこと、興奮すること、やりたいことをやる。

そういうことに22歳になって、やっと気づけて、本当に良かった。

このブログを開設した

ブログを開設した

本日(2021/08/09)このブログを開設した。主にアニメや漫画、映画、本など、コンテンツの感想を中心に、それ以外にも体験したことや思ったことについて書いていこうと思う。

自己紹介

22歳男性大学生「タマタマ二等星」。子供の頃好きだったケロロ軍曹というアニメのタママ二等兵からインスピレーションを受けている。アニメや漫画が好き。人生斜に構えがち。容姿はイケメンではない。服もまあ好き。

ブログ開設の目的

人生斜に構え過ぎて、自分の好きなものや感動したものを忘れてしまいそうな気がした。本当は感動したときに大きなリアクションをしたいのだが、22年この性格でやってきたので急にいろいろ立ち振舞を変えるのは難しい。このブログにそうしたポジティブな体験に対する想いをストックしておくことで、自分の好きを忘れないようにしたいと思った。

ここ1年くらいで自分の人生をどうしていこうかと結構考えたけれど、結局人生かけられる好きなものを見つけたもの勝ちだなと思った。自分にはまだそれがない。だからその種を残しておきたい。

これから

別に読者を獲得したい訳では無いが、同じコンテンツが好きな人とか同じ感性を持つ友達が増えたらいいなぁと浅はかな期待を抱いている。